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アイドル考。その2

更新日:2020年4月12日


その1から続き。

なりゆきで書いてますが、広報アイドルには詳しくないです。

当時のことを思い出したり調べたりYouTube観たりしてたら、安易に手を出してはいけないジャンルだと思い知らされました…。

私たちが伊那北高校に入学した1985年は、振り返るとどうやらアイドルの当たり年だったようで。

一方でいたいけな少年たちがアイドルに抱いていた「幻想」が根本から覆された年でもあったのですね。

そう、おニャン子クラブです。

社会現象になったくらいですから、ここで細かいことはいいでしょう。

いまに至る「商法」が確立されたのが、このときでした。

高校入学と同時に始まった「夕やけニャンニャン」。

部活があるからなかなか見られないし、いやそもそもこんなもの見てるやつ周りにいないだろなんて思っていた井の中の蛙ゆえ、E組熊井くんも「こニャン子クラブ」の会員証を持っていることを知ったときの驚きといったらなかったですねえ。

なんと言いますか…「東京への憧れ」みたいなものがそこはかとなくあったのかしら。

なんだかんだいま握手会に並ぶ子たちと同じように、まんまと秋元某氏の手のひらで踊らされたという顛末でした。

おそらく相乗効果で「正統派」アイドルも活況でした。

斉藤由貴さんはボーイズたちの絶大な支持を集めていた記憶があります。

CMいっぱい出てましたね。


ひねくれ者の広報は、AXIAのカセットテープを使ったら負け…のような強迫観念に囚われていました(男は黙って、That'sの三角窓!)。

そのくらい斉藤さんが抗い難い魅力を持っていたということでしょう。

三〇余年を経て最近「予感」という歌を聴いたらハマりました💦


ハタチ前にしてこの詞を書く。恐ろしか人です。

C組下平ミッチ君のペン祭でのピコピコピン!な熱演も光った「毎度おさわがせします」でデビューした中山美穂さん。

勢い映画「ビーバップハイスクール」シリーズでヤンキー諸兄のハートを掴んだものの、そんな路線が嫌だったのでしょうか(さんざんdisって帰っていったという伝説の駒ヶ根でのコンサートとかあったようで…)、「You're My Only Shinin' Star」で華麗にオトナ路線にのっかり、いまへと至ります。


…はて、ここまで書いていったい広報は何がしたかったのかよくわからなくなってきました。

まだまだ森口博子さん&井森美幸さんという超絶美人なうのお二人や南野陽子さん、本田美奈子さん…大勢いらっしゃいますが挙げたらキリがないので、そろそろやめときます💦

最後に、タイムマシーンズのファム・ファタールことG組清水さんが夢中だったアイドルを貼り付けて大団円と参りましょう。


終始グダグダな話でしたけれど、これでオチはついたかしら?


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