top of page

思い出クロスオーヴァー

更新日:2020年4月12日

皆さまご無沙汰してます。

すっかり春めいて暖かな日差しに包まれる一年でいちばんしあわせな時季なのですが、巷は新型コロナウィルス禍のために、どことなく先の見えない不安に包まれています。


広報ちゃんのお仕事も中止や延期や縮小で、そこそこエライこっちゃです。

学校の卒業式。

晴れの日なのに全員マスク姿、短縮挙行のため練習を重ねてきた歌もなし、本来保護者がいるはずの場所には寂しく空いたスペース…。

昨年の今ごろ呑気にブログで触れていた街の光景とはあまりにかけ離れた切ないありように、しばしば心折れそうになります。

けれども、そんなときこそいつもどおり渋々(笑)起きて働き、人にやさしく助け助けられ一日を終え、ほどよく疲れて床につく…そんな日常を愛おしみ、前を向いて暮らし乗り越えていきたい、と広報はあらためて思ったりもするのです。


まあなんだかんだと貧乏暇なしの日々、先日、県の吹奏楽の振興にご尽力されたとある御方を偲ぶ会に出席する機会があり、そこで上映する映像の制作依頼を頂戴しました。

ご遺族から預かった写真を並べ拝見していると、ふと高校時代の記憶を呼び起こす一枚が。

あれ?これって斎藤さんが行ってたやつじゃない?

そう、ウィーン。

吹奏楽部や同じクラスだったかたは覚えているのではないでしょうか。

1985~86年にかけて「長野県高等学校選抜吹奏楽団・オーストリア派遣事業」というのがあって、高校生の選抜吹奏楽団が海外演奏旅行を敢行。

音楽の都オーストリアのウィーンをはじめグラーツ・アイゼンシュタットの三都市で演奏を披露しました。

このとき、けっこうな倍率の応募から選ばれ、当時1FのA組圓崎(斎藤)さんが参加したんですね。

聞けばこのときまで、県では高校生の団体渡航を認めていなかったそうですが、特例として初めて海外へ行くことができたのだとか。

歴史あるホールで、いざ音を鳴らすと日本国内のホールと響きがまったく違っていて現地対応を迫られるなど、いろいろと貴重な経験があったそうです。


斎藤さんにこの話を伝えると、先生の映像を広報ちゃんが創るなんてなにかの縁だね、と喜んでいただいて。

いまでも当時の団員とは強くて深い絆があるそうで、集まることも多いと話してくれました。


広報ちゃんは当時ラグビー部。

まっくろくろすけ上等、お上品な世界はあっしには関わりのねえことで的なアウト&ロー(※アウトローではない)の日常でしたので、30余年を経てあらためて詳細を知ることになり、同じ時期にこんな貴重な体験をしていたんだなあ…と感心することしきりでした。

皆さんの「高校時代の自分だけの貴重な体験」って、なにかありますかね?


写真を見て懐かしんでいると、登校時に吹奏楽部がパート朝練している風景が浮かんできました。

あの頃も渋々起きてチンタラ登校して、なんだかんだダラダラ陽気に一日過ごし、伊那北駅前のヤマザキでうまい棒食べて部活の疲れでガーッと寝る…ああはいはい、いまとたいして変わらない毎日でしたねえ…。

自分の話になると、ハイセンスな話題から際限なく谷底に落ちていきますねえ…。


遅ればせながらフィフティーズクラブの仲間入りを果たした初日ですけれども、広報らしくグダグダになりそうなので、本日はこのへんで。


Comments


bottom of page